エルサレムからアジアの果てまで−ユダヤ人に福音を分かち合う


今回は、この記事をとおして、日本におけるユダヤ人伝道のビジョンと実践的な取り組みのいくつかをご紹介したいと思います。私にとって、これは単なるメッセージ以上のものであり、私の人生とミニストリーを通じて日々実践していることです。
朝起きて新しい一日を始める時、人々に福音を分かち合うなか(それは私たちのゲストハウスに宿泊するイスラエル人旅行者であるかもしれませんし、スポーツジムで出会う日本人であるかもしれませんが)、私は自分自身を、はるかに大きな全体像の中の小さな一部であると考えています。私は、自分は世界に救いをもたらす福音を広めるために、神さまのご計画に参加する特権を持つ者だと思っています。
このようなことを考えたことはありますか。神さまは、ご自身の御子を啓示するために、一瞬で福音をすべての人に伝える方法を創造できるお方です。しかし神さまは、あなたや私のような人々を通じて働くことを選ばれたのです。私たちの人生や他者との関係、そして私たちに与えてくださる機会を通じて、周囲の人々に福音を神様は分かち合われるのです。このようにして、主のご計画は私たちの世代において、そして世代から世代へと展開していくのです。
約二千年にわたり、福音は世界中に広がり、国から国へ、世代から世代へと広がっていきました。福音は西アジアのイスラエルから始まり、西に向かってヨーロッパへ、そしてさらに西にあるアメリカへと広がりました。本日、すべての課題にもかかわらず、東アジアの中国において霊的な覚醒を私たちは目の当たりにしています。比喩的に言えば、福音は円を描くように戻ってきており、最初に出発した土地と人々へと戻ってきました。素晴らしいことはすでに起こっていますが、最も素晴らしいことの多くは、まだこれから起こる、と私は信じています。
私は、これからの季節が楽なことばかりだとは言いません。困難がないと言っているわけでもありません。今後も困難なことに出逢うでしょう。しかし、これらすべての困難の中でも、なんと興奮する時代に私たちは生きているのでしょう!私たちは歴史上、聖書の預言が再び私たちの目の前で展開している時代に生きているのです。
イスラエルは、何千年も前に聖書に記された預言的な出来事の最前線に位置しています。それは、私たちがどこに住んでいても、今日に至っても、私たちにとって、イスラエルとユダヤ民族がとても重要である理由の一つです。もう一つの理由は、神さまとイスラエルとの関係を通じて、聖書の真理、契約、神さまのご性格、そして神さまの約束に対する忠実さをよりよく理解できるということです。私たちはイスラエルの歴史から学ぶ必要があり、また、イスラエルが、終末の将来の出来事を理解する上で、非常に重要な役割を果たしていることを忘れてはなりません。
私たちの多くは、「イスラエルは神の預言的な時計である」という表現を聞いたことがあると思います。
そうなのです。イスラエルは神さまの預言的な時計、神さまの計時器、と直接つながっているのです。言い換えれば、私たちが生きているこの季節を理解したいのであれば、「イスラエルをご覧ください。」
私もそう信じています。イスラエルは常に神さまのご計画において中心的な位置にあり、終末のご計画においても引き続き中心的な位置を占めるのです。イエスは聖書が語っている通りエルサレムに戻って来られます。そして、イエスはご自身を迎える準備ができているエルサレムへ戻って来られるのです。
イエスご自身がこう言われました。
「ああ、エルサレム、エルサレム。…あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」
(マタイ 23:37、39 新改訳©2003)
ですから、私たちは、イエスがエルサレムに戻ってくることを知っています。そして主は、メシアの体であるユダヤ人とアラブ人が、主の帰還を歓迎する準備ができているエルサレムに戻って来られるのです。
彼らは、今すでにその準備ができているのでしょうか?残念ながら、それはまだです。
そのように、イスラエルは神の終末時計と直接つながっています。しかし私は、何年も前にピーター・ツカヒラが言ったことを決して忘れません。当時、彼はまだ黒髪で、私はまだ若い牧師でした。彼のメッセージの一つの中で、彼は、「時計を見てください。時計の針は、一本だけではありませんね。」と言いました。
それからピーターは続けました。「神の終末の時計には二本の針があると信じます。」
イスラエルはそのうちの一本です。私たちが、花婿が来る時である真夜中に近づくにつれ、十人の乙女のたとえのように、イスラエルの針は神さまが定えられた時、すなわち主の再臨に近づいています。
パウロはこう記しています。
「その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。」
(ローマ 11:25-26 新改訳©2003)
ここで見る単語、「時まで」に注目してください。神さまのご計画には定められた時があります。歴史は主が定めた瞬間へと向かっています。しかし、神さまの預言的な時計には別の針があります。それを諸国の針と呼ぶことができます。イスラエルの針と諸国の針です。どちらも動いています。どちらも神さまの同じご計画の一部です。そして、両者は王の帰還に向かって進んでいるのです。
今日、私たちは歴史上、特別な時代に生きています。世界のほとんどの国はすでに福音を聞いており、同時に、ますます多くのユダヤ人がイエスへの信仰を持ち始めています。
イエスはこう述べました。
「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」
(マタイ 24:14 新改訳©2003)
私たちの時代において、福音が世界中に広がり続けているのを目にしています。先ほど申し上げたように、それは西アジアのイスラエルから拡散し、ヨーロッパ、そしてアメリカへと広がり、現在はアジア全域へと移動しています。私たちは東アジアの中国で霊的な覚醒を目の当たりにしており、イランのようなムスリム国や西アジアでもそれは見られます。福音の普及について語るとき、すべての人がイエスの信者になるという意味ではありません。つまり、人々は福音を聞く機会があり、イエスを信じるか拒むかという選択をすることができるのです。
日本の状況は、ユダヤ人の間で見られる状況と非常に似ています。ほとんどの人は依然として福音の真の意味を理解していません。日本では、信者は人口の約1%にすぎませんが、イスラエルでは、信者は約0.3%を占めています。しかし、イスラエルの信者のコミュニティは毎年増え続けています。
聖書を通して今起こっていることを見るとき、日本は新たな霊的な季節に入りつつあり、偉大な霊的な収穫を目の当たりにする時である、と私は信じます。神さまは日本の民を愛し、彼らのために特別なご計画を持っておられます。終末が近づくにつれ、福音は日本列島全体にますます広がっていくでしょう。これは神さまの御業であり、すべての栄光は神さまのものです。しかし、私たちは主の御手の中で、その器となることができるのです。
使徒パウロはローマ人への手紙で次のように書いています。
「しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」
(ローマ 10:14 新改訳©2003)
何世代にもわたる日本のクリスチャンたちは、この地のために祈ってこられました。正しい者の祈りには大きな力があります。日本のクリスチャンが何世代にもわたって捧げた祈りは、強固な霊的基盤を築いてきました。
神さまの恵みによって、主は私たちをこの時代において仕えることを選ばれました。この基盤の上に築き続け、神さまが日本で行っていることに貢献するためにです。私たちは福音を周囲の人々に届けることに身を捧げなければなりません。
日本においても神さまは、人々に毎朝この願いを胸に抱いて起き上がるよう呼びかけています。福音のために生き、どこにいても神さまに仕える準備をすることです。それは、仕事へ向かう途中、ジムで、まだ信じていない親戚との家族の集まりの中、あるいは地元のコーヒーショップでコーヒーを飲んでいるときなどにです。何をしていても、心の奥底で主にこう言います。
「ここにおります、主よ。私を遣わしてください!今日は、あなたのしもべである私に何を用意してくださっていますか?私を遣わしてください。私はあなたの御心を行うためにここにおります。今日、再び、私はあなたに仕えるために自分の人生を明け渡します。」
このような考え方を持てば、私たちは効果的な証人となり、福音を聞いた私たちの周囲の人々の輪は増え続けるでしょう。私は、これがイエスが言われたこと、そしてパウロが強調したことだと信じています。すべての国がこの証しを受けなければならないのです。それは日本人やユダヤ人を含むのです。
福音のメッセージは非常に明確です。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」
(使徒の働き 4:12 新改訳©2003)
イエスがおられなければ、私たちは皆迷っています。イエスだけが神さまと人間との隔たりを埋めることができるのです。イエスがいなければ、永遠の命への希望はありません。福音は、多くの哲学的信念の中の、単なるもう一つの宗教的、または精神的な概念ではありません。福音は究極的な真理であり、世界の創造主から直接届くメッセージなのです。
ローマ人へのパウロの手紙から、私のお気に入りの聖句の一つを引用したいと思います。
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」
(ローマ 1:16 新改訳©2003)
パウロは「私は福音を恥とは思いません。」と書いています。私たちはメシアの福音を恥じてはなりません。私たちは、周囲の人々に福音を伝え、信仰について率直に語ることにより、私たちの国々のために用意された、神さまのご計画に参加しなければならないのです。
パウロは、クリスチャンのコミュニティにおいて、しばしば忘れがちな言葉を続けて述べています。「まずユダヤ人に、そしてギリシャ人にも」と。これは非ユダヤ人を意味します。神はそのような秩序を確立しました。
福音は聖地から私たちのもとにやって来ました。本日、メシアニック・ユダヤ人として、またクリスチャンとして、福音をユダヤ人、特に日本国内のユダヤ人コミュニティに取り戻すことは私たちの責務です。ユダヤ人が日本の地でメシアへの信仰を持ち始めるなら、日本の教会にさらに大きな祝福をもたらす、と私は信じています。
さてここで、皆さんが、日本でユダヤ人に福音を伝えるために、どのように参加できるかについてお話ししたいと思います。
ヘブライ語で「福音」または「良い知らせ」を意味する言葉はべソラ( בְּשׂוֹרָה, besorah)です。それはヘブライ語の語根 ב־שׂ־ר―bet、sin、resh から来ています。ヘブライ語の単語バサル (בָּשָׂר basar)は「肉体」を意味し、「福音」と同じ語根に由来します。
ヘブライ語の「福音」と「肉体」の語根が同じであることは興味深いことです。新約聖書は次のように述べています:
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。」
(ヨハネ 1:14 口語訳)
これは、私たちが信じ、宣言する信仰が、私たちの生き方や行うことを通じて可視化されなければならないことを意味します。
すでに申し上げた通り、私たちがイスラエルのための神さまのご計画に参加し、福音をユダヤ民族に取り戻すことは、私たちにとって大変光栄なことです。私たちは、日本のユダヤ人コミュニティと、日本各地を旅するイスラエル人に、イエスの福音を分かち合わなければなりません。私たちの信仰は、実践的な行動を通じて表現されなければなりません。
2022年に、私の信仰の兄弟である内山アイザックと私は、東京にあるチョーズン・ピープル・ミニストリーズの日本支部を正式に設立しました。130年以上にわたり、チョーズン・ピープル・ミニストリーズ のビジョンは、ユダヤ人に福音をもたらすことです。
ユダヤ教のミニストリーとして、私たちは人道支援を提供し、憎悪と反ユダヤ主義と闘い、ユダヤ人コミュニティのために支援いたします。しかし、私たちの最優先課題は依然として明確です。それは、聖霊の力によって福音を宣べ伝えることです。私たちの言葉、祈り、そして行動を通じて、まず日本のユダヤ人コミュニティと、全国を旅するイスラエル人に、そして日本全土の人々にもです。
ユダヤ人への福音伝道について語る際には、世界に約千六百万人のユダヤ人が存在し、そのほぼ半数がイスラエルに住んでいることを忘れてはいけません。
日本では、小さなユダヤ人コミュニティがあり、それは主に東京と、日本で最も古いユダヤ人コミュニティがある都市である神戸に集中しています。しかし、ユダヤ人は北の北海道と南の沖縄にも居住しています。
私が日本のユダヤ人コミュニティについて語るとき、その中には日本に来て数年間留学し、ここに滞在する若いイスラエル人や、IT企業で働くイスラエル人など、いくつかの異なるグループも含んでいます。ドイツ、アメリカ合衆国、ロシア、またその他の国々からのユダヤ系・日本人家族やユダヤ人居住者もいます。
ドイツ出身の若いユダヤ人の一部は、ワーキングホリデーのプログラムを通じて日本に来日し、限定された期間に日本を旅行し、働くことができます。さらに、一部のユダヤ系アメリカ人は日本にある米国の軍事基地で勤務しています。彼らのほとんどは若いですが、他の年齢層の人々もおり、皆イエスが必要です。日本におけるクリスチャン・コミュニティとして、私たちは福音をユダヤ人に取り戻すという特権と責任を負っており、福音を日本のユダヤ人コミュニティと共有すること、あるいはすでにこの活動に従事している団体を支援することによって、福音を広める責任があります。
ここに住んでいる人々に加えて、毎年多数のイスラエル人が日本を訪れています。公式な統計によれば、イスラエル人観光客の数は2003年から2011年の間に比較的少なく、ほとんど変化もなく、年間わずか数万人にとどまっていました。しかし、2015年から2017年の間に、その数は急激に増加し、2017年には約四万人の訪問者数に達しました。
コロナのパンデミックの間に国際旅行は停止しましたが、急速に回復し、成長し続けています。コロナ以降の数年間で、イスラエル人訪問者数は二倍、あるいは三倍に増加したようで、今年は約十万人のイスラエル人が日本を訪れています。
以下は、イスラエル人観光客が日本で通常訪れる主な目的地です。
*東京圏:ほとんどの人が東京を訪れて、約七泊は滞在します。
* 富士山と箱根:多くの人が訪れ、予想以上に関心が高い場所です。
* 関西(大阪、京都、神戸):旅行者の大多数が訪れます。神戸は日本で最も古いユダヤ人コミュニティが存在することを覚えておくことは重要なことです。
* 広島・宮島:この地域をかなりの割合のイスラエル人観光客が訪れます。
* 中部地方(松本、高山、金沢):多くが定番ルートから外れたこれらの町を訪れます。
イスラエル人は新しい経験に心を開いて日本に来ることが多く、これにより私たちは彼らと福音を共有する素晴らしい機会を得られます。
実際、私たちの統計によりますと、第一世代のユダヤ人信者の約70%、すなわち自らイエスに信仰を持ったメシア的ユダヤ人は、イスラエル国外に居住または旅行中に初めて信じたとされています。
私たちのビジョンは、日本を訪れるイスラエル人の心に福音の種を蒔くことです。彼らがイスラエルの故郷や都市に戻るとき、私たちの祈りは、この種が根を下ろし、実を結び、イスラエルの地全体に広がることです。
日本に住むユダヤ人やイスラエル人旅行者と、私たちはどのように接点をを持つことができるのでしょうか?
イスラエル人は全体の観光客人口のごく一部にすぎません。もし私たちが単にイスラエル人を探しに出かけ、チラシを手渡すだけであれば、日本を訪れる他の何百万もの観光客の中で彼らを簡単に見失ってしまうため、それはあまり効果的ではありません。したがって、ランダムなアプローチをとおしてでは、有意義な結果をもたらす可能性は低いのです。
しかし、イスラエル人は以下のような理由で特定の場所に集まる傾向があります。
* コーシャー(ユダヤ教の食事規定)への対応:豚肉やエビを避ける、過越祭にマッツァーを食べるなど、基本的なコーシャーの習慣を守るためなど、簡単なことから始めることができます。
* 安息日やユダヤ教の祝日のお祝いは自然にユダヤ人観光客を集めます。
* イスラエル人とユダヤ人コミュニティ内での個人的な推薦。
したがって、日本でのユダヤ人伝道において、これは韓国や台湾のような国にも当てはまると思いますが、私たちがイスラエル人を探し出すよりも、イスラエル人が「私たちを見つけてくれる」ような環境を整えることが重要です。
主なアプローチ:
ツアー
ゲストハウス
文化プログラム
日帰り地域ツアー:
ツアーの働きには、語学力(英語、できればヘブライ語)と体力が必要です。チームで行動するのが良いでしょう。
一日を共に過ごすことは、イスラエル人旅行者と個人的に知り合い、彼らのストーリーを聴き、私たち自身の証言を共有し、真摯な関係を築く絶好の機会となります。多くの場合、彼らがイスラエルに戻った後でも、ソーシャルメディアを通じてこれらの関係を継続することができます。
ゲストハウス:
ゲストハウスを通しての働きには、特定の宿泊施設の条件、寝室の準備、そして、隣人との良好な関係などが必要です。自然にコミュニケーションをとれる時間、特に一緒に食事をする機会を設けることが最も重要です。
このアプローチは非常に効果的であることが証明されています。2022年以降、私たちの東京のゲストハウスにおいて、すでに約4,000人のイスラエル人が宿泊しました。これらの若者の多くは、福音を聞くことや霊的なことについて話すことに前向きです。
文化的プログラムや特別なイベント:
文化的プログラムも非常に価値があります。これらには、過越祭やハヌカなどのユダヤ教の祝祭や、イスラエルに関連するイベント、イスラエル独立記念日、ホロコースト追悼記念日、イスラエル記念日、10月7日の犠牲者を追悼する集会などが含まれる可能性があります。
それらはユダヤ人を集め、関係を築き、意味のあるコミュニケーションをとり、また福音を分かち合える機会を生み出します。
結論
アジアにいる私たちには、福音を伝える上で特別な利点を持っていると私は考えています。なぜなら、アジア人とユダヤ人の間には、敵意や迫害の歴史がないからです。
だからこそ、私は各種イベントに日本人ボランティアが参加してくれることを心から嬉しく思っています。イスラエル人の中には無関心な反応を示す人もいますが、ほとんどの場合、真摯な関心を示してくれます。彼らは、「なぜ日本人がクリスチャンなのか?」と尋ね、もっと知りたいと願うのです。
歴史を通して、イスラエルの民は聖書を守り続けてきました。イェシュアはユダヤ人として生まれ、使徒たちは皆ユダヤ人であり、初期の信者たちも皆ユダヤ人でした。そして彼らは、福音を世界中の国々に伝えるために、大きな苦難を経験しました。しかし残念ながら、今日、まだ多くのユダヤ人は福音を知りません。
イエスを信じるクリスチャンとして、私たちはイスラエルの民に対して大きな責任を負っています。この困難な時期に、イスラエルの民を見捨てることはできません。祈りを通してイスラエルの民を支え、また、イエス・キリストの愛を具体的な形で示すことによってイスラエルの民を支えるのは、私たちの召しです。
イスラエルの民の救いという神さまのご計画において、私たち一人ひとりが果たすべき役割があります。それは、イスラエルの民を愛し、イスラエルの民のために祈り、メシアであるイェシュアを通して与えられた良き知らせをイスラエルの民に伝えることです。私たちはイスラエルの地から福音を受け取りました。今、日本にいるイスラエル人とそれを共有することで、彼らの心に種を蒔くことができます。彼らが故郷や地元に戻るとき、彼らはその種をイスラエルの地へ持ち帰ることになります。
イスラエルの人々に祝福を与えることによって、私たち自身も祝福をますます受けとることになるでしょう。



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